あなたは、宮沢賢治の文献によく見られる、書き出しのある共通点を知っていますか?
本当に?と思った方は、一度確認してみてください。図書館で関連書を読んだり、アマゾンなどで試し読みをしたりすることでもチェックできます。もしくは賢治さんを紹介するWeb上の文章などでもいいでしょう。
もちろん記述がない本もありますが、「宮沢賢治は神様のように崇拝されがちだが、そんな人ではない」という内容のお話が書いてある本は、思ったより多いのです。
賢治さんは「雨ニモ負ケズ」などにもみられるように、高い理想を実現しようとしながら生きていました。実際非常に優しい人で、教師時代は生徒を家に招いてごちそうを食べさせたり、晩年は農民の豊作のために無料で肥料設計図を書いて回ったりしていたそうです。
他人のために自己を犠牲にするような物語も多く(「グスコーブドリの伝記」や「ふたごの星」など)、そのような要素も、著者本人の崇高な人物像を思わせます。
しかし賢治さんは神様ではありません。実際、父と大喧嘩してそのまま家を飛び出してしまったり、自分の宗教を信じすぎて友達に改宗を迫りまくったりと、案外普通の人間だったのです。
賢治さんは神様ではありません。この決まり文句は、今でこそ「またか!」と思うようになりましたが、私は賢治さんにハマりたてのころ「賢治さんってどうしてこんなに素晴らしい童話が書けるのだろう……もしかして神様とかそういう類なのかなあ……」と思ったことがあります。
よってこの忠告は、かなり大切だといえます。
現代の教科書ではほとんど宮沢賢治の作品が扱われています。その中に出てくるお話はやはり彼の美しい理想が性格が表されているものが多く、小さな頃からそれらに親しむ人々は、「宮沢賢治って、神様みたいな存在なんだ」と知らず知らずのうちに刷り込まれていくのかもしれません。
今日はよく調べないと勘違いをしてしまうね、という話でした。それでは、また次の更新で!
「新潮日本文学アルバム12 宮沢賢治」